どんぐりに救われて

今年最後のテーマは私たち家族にとってのどんぐりの本当の意味についてです。

どんぐりは、子供が楽しく人生を過ごせるようになることを主な目的としていると思います。しかし、そのような目的にとどまらず、どんぐりはその年齢によって形を変え確実に子供を心身共に守ってくれていると思います。

そして現実問題の一つとして薬物汚染があります。相当酷い状態を想像したとしても、リアリティーはその数倍は酷いと思った方が良いと実感します。このような環境下で子供が自分の身を守るには、他でもない子供自身の自力しかないと感じます。

子供が自分の価値観を自力で育て、磨き続けていない場合は、どのように親が、大人が、学校が、コミュニティーが、警察が、躍起になって薬物汚染を防ごうとしても、我が子を遠ざけようとしても、守ろうとしても、ほとんど無力だというのが私の感じるところです。

自分の価値観を自力で育て、磨き続けることができるようにするには、どんぐりの理論を用いる以外にはとてもできそうに無いと思っています。目の前にある現実の危険から、現実に子供が自力で自分自身の心身を守り抜いています。そしてそのベースとなっているものは、紛れも無く、あの頃、果てしなくいっしょに楽しんだどんぐりにあると言えます。

子供の頭(視考力)はどんぐりで守れました。そして、その先にあるものは、私たちにとってはもっともっと重く、どんぐりは間違いなく子供の命を守っているものの一つであると断言できます。

子供は私に多くのことを語ってくれます。友達同士で初めて行ってみた数日間をテントで過ごす野外音楽フェスでは、周囲は薬物だらけだったと。そのために集まっているようなひどい場所だったと。とてもここで詳しく書くことはできない内容です。

そのような場所であろうことは子供も私も想像していました(それは想像をはるかに超えるものではあったが)。子供は私に「自分は大丈夫だ、自分に自信がなければそのような所には行きはしない。音楽フェス自体にも興味があるし、どんな所なのか見てみたい」「自分にとって人をナイフで刺してしまうことも、いくらもしないお菓子を盗むことも、薬物に手を出すことも、すべて等しく自分が自分でなくなってしまう、ある一線を越える行為で自分はその一線を越えることは絶対にない」とはっきり言いました。

私と子供の間で培かわれた信頼と信用はとても強固であると思っています。そのベースとなるものはやはりあの時共に過ごした貴重な時間以外には有り得ません。どんぐりは、子供を1人の人間として真に守ることを可能にするとても貴重な理論である思います。

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